ジブリ映画『紅の豚』には飛行機乗りとしての誇りを胸に、孤独に生きる男・ポルコの姿が描かれています。
そして物語には、2人の印象的な女性キャラクターが登場しますよね!
ひとりは気品と包容力を備えたジーナ、もうひとりは若くて才能にあふれたフィオ。
最近ネット上では「フィオが苦手」「なんか嫌い」という声とともに、「ポルコはジーナとフィオ、どっちとくっつくの?」という疑問も多く見かけるようになりました。
この記事では、
- なぜフィオにモヤモヤを感じる人が多いのか
- ポルコとジーナ、フィオの関係性と恋愛のゆくえ
- 宮崎駿監督が語った“裏話”の真相
などについて考察していきます。
紅の豚|フィオが嫌われる理由!“モヤモヤ”を感じるポイントとは?

フィオはとても明るく、頭がよく、飛行機設計の才能まで持っている魅力的なキャラクターです。
けれど、一部の視聴者の中にはフィオのことを
「どうも好きになれない」
「なんか違和感…」
と感じる人もいます。
その理由として、次のようなものが考えられそうです。
① いきなりヒロイン感を出してくる“押しの強さ”
フィオは物語の途中から登場しますが、すぐにポルコのそばで重要な役割を果たしストーリーの中心に入ってきます。
その存在感の強さに、「いきなりすぎる」「ジーナの方に感情移入してたのに…」と戸惑う人もいるようです。
② まだ17歳なのに大人たちと対等に渡り合う“自信満々さ”
- 「私に任せて!」
- 「飛行機のことなら私が一番よ」
そんなセリフからは、年齢に似合わない堂々とした態度が感じられます。
これが頼もしく映る人もいれば、「少し背伸びしすぎじゃない?」と感じる人もいることから「ちょっとした嫌悪感」を感じる人がいるようです。
③ ジーナとの“対比”が余計に目立ってしまう
ジーナは、大人の女性としての気品や悲しみを持ったキャラクターでどこか安心感を感じさせる女性ですよね。
その落ち着いた魅力に惹かれていた視聴者からすると、フィオの元気さ・若さが「軽く見える」「子どもっぽい」と感じられることもあります。
「ポルコへの恋心はわかるけど2人は釣り合わない」と感じる方も多いようです。

④ “何でも出来すぎる”キャラに共感できない人も
フィオは若くして美人で、設計の才能もあり、人付き合いもうまい。
→ これはナウシカやシータにも共通する“ジブリヒロイン像”ですが、その万能感がときに「苦手」と感じさせる要素になるのかもしれません。
ポルコが最後に“くっつく”のはジーナ?それともフィオ?
紅の豚を観終わったあと、多くの人が考えるのがこの問いです。
「ポルコって結局どっちを選んだの?」という素朴な疑問。
でも実は、映画でははっきりとは描かれていないんです。
宮崎駿監督の“裏話”(原作)では…実はジーナとくっついた!
映画では、ジーナが「自分の庭に来てくれる人を待ってる」と語る場面があります。
そして最後のナレーションでは、その後どうなったかは語られず、映像からもはっきりしません。
しかし、宮崎駿監督はインタビューなどで、
「ポルコはちゃんとジーナのところに行ったよ」
といった趣旨の発言をしており、実はポルコとジーナは“再会している”というのが制作側の想定だったことがわかっています。
また紅の豚をしっかりと確認すると、最後にジーナのホテル庭に行ける桟橋にポルコの赤い飛行機が停まっていて、ポルコがジーナと会ったと想像できるようになっています。
紅の豚。
— 夕庵©️ (@DD_filia) November 11, 2016
ラストでジーナさんの賭けの結果は「秘密」とあるが、ジーナのプライベートの庭側の桟橋にポルコの飛行艇があり、ジーナは賭けに勝ったのだとわかる。 pic.twitter.com/XuBllldDdp
もう一つジーナと結ばれたと分かるのが、ポルコが乗っていた飛行機のナンバーが『4』だったこと。
これはジーナが3人の元夫と死別しており、ポルコが4番目の亭主になったことを表しているんです。
機体の「4」はポルコがジーナの4番目の夫であることの暗示。
— ジブリまみれ (@ghiblimamire) September 6, 2013
「4番っていうのはね、ボルコがジーナの四番目の亭主だからなンです。細かいでしょ? ウシシシッ」飛行艇時代・宮崎監督 pic.twitter.com/XRyPc3HfyJ

宮崎駿監督の遊び心がわかって面白い!
フィオは恋の相手というより“未来の象徴”
フィオは、若さと情熱を持った存在として登場し、「もう過去の人になりつつある」ポルコに対して、新しい風を吹き込む役割があります。
でも実際には、恋愛関係というよりは、「希望」や「再生」の象徴として描かれており、ポルコの恋の相手という立ち位置ではなかったと考えられています。
作中でもポルコはフィオからのキスに照れたりしていますが、最終的には兄的な立場でフィオのことを見ていたことが伝わってきました。
結論→ポルコはジーナと再会、“恋愛の答え”は観客の中に
映画の中では明言されていませんが、プレーンな解釈としては「ポルコとジーナが再会して結ばれた」と見るのが自然です。
ただし、それをあえて確実に描かなかったのは、観客に余韻を残すため。
ジブリらしい“曖昧さ”が、かえって深い感動を生んでいるともいえるでしょう。
ジブリにおける“女性像”とフィオの立ち位置
宮崎駿監督作品には、ナウシカ、サン、シータ、キキ…と印象的な女性キャラクターが数多く登場します。
その中でフィオは少し異色で、
- 大人たちにまじって行動するけれど
- 完全な“救世主”でもなく
- 恋愛対象としては微妙な立ち位置
という、非常に難しいバランスのキャラです。
フィオ=“ジブリの過渡期”を象徴するヒロイン?
宮崎監督が描いてきた「聖なる少女像」から、「もっと自由で強い女性像」への転換期にあたる時期のキャラとも言われます。
そのため、人によって好感度が大きく分かれる=それだけリアルな人物として描かれた証拠かもしれません。
フィオが嫌いでもいい。紅の豚は“曖昧さ”が魅力の恋物語
- フィオが好きじゃないという感覚はおかしくない
- ジーナとフィオ、どちらが正しいヒロインということもない
- 宮崎監督の裏話からは「ポルコはジーナのもとに戻った」という制作側の想いも垣間見える
- でも、答えを語りすぎないからこそ、『紅の豚』はいつまでも語り継がれる名作になっている
結局は観た人がどう感じたかが正解でその自由さが、ジブリ作品のいちばんの魅力なのかもしれませんね。